偉人・達人が残したもの

キャリア・デザイン、キャリア・カウンセリングという言葉にふれる機会が多くなりました。夢をもてなくなり、将来的な職業観や仕事に対するイメージが描けない子どもたちが増えているからでしょうか。人生の3分の1の時間を費やす仕事に向き合うことで、偉人・達人といわれる人々は、何を学び、どんなことを教訓として得たのか。子どもたちに職業のプロ、人生のプロがつかんだ生きることのすばらしさをメッセージとして贈るときに参考になります。 

<ご利用にあたって>
以下の文章を通信に引用される場合は、文末にある出典(書名・著者名・出版社名)を明記して下さい。


自分の選んだ道を「楽しみ」ながら進むと、必ず上にいける・・・

新庄剛志さん(元プロ野球選手)

「もう、このグラブが駄目だと言っている」という名言を残して、グラウンドを去っていった新庄選手。現役最後の試合となった2006年10月26日、プロ野球日本シリーズ第5戦・日本ハムファイターズ対中日ドラゴンズ戦。日本ハムファイターズが4─1で中日ドラゴンズを下し、日本一になった試合です。日本ハムファイターズの前身である東映フライヤーズ以来、なんと44年ぶりの2度目の優勝でした。まさに「劇的」という言葉がピッタリの新庄選手らしい引退劇でした。弱冠34歳……プロ野球選手としては、まだまだ現役バリバリの年齢のはずです。(中略)

これまでプロ野球選手の引退が世間の注目を浴びたのは、大記録を打ち立てた選手に限られていました。では、新庄選手はどうなのでしょうか。新庄選手の野球経歴を見てみると、一度も打率3割を打ったこともなく、ホームラン王になったこともないという、これといった大きなタイトルとはまったくの無縁だったのです。1989年に福岡県の西日本短大付属高校からドラフト5位指名で阪神タイガースに入団。2000年のシーズン終了後、フリーエージェント(自由契約)宣言をして、アメリカ大リーグ・メッツに入団します。
阪神タイガース時代は「虎のプリンス」と呼ばれ、阪神一の人気選手でした。球団は5年契約で12億円という好条件を提示しましたが、新庄選手はそれを蹴り、年棒2200万円でアメリカにわたったのです。(中略)

新庄選手のモットー(野球哲学でもある)は、「自分が楽しくなければ、ファンも楽しくない」です。日本シリーズ直前に新庄選手はチームメイトに「優勝しよう。そしてシャンパンファイトをしよう。楽しんでプレーすれば必ず上にいける」と言っています。新庄選手の自分自身が楽しみ、ファンに楽しませた17年間のプロ野球人生は、日本一という劇的な形で幕を下ろしたのです。(中略)

しかし、新庄選手の野球人生には、派手なパフォーマンスや言動などから想像しがちなピカピカ人間とはまるで違う、実直でひたむきなもう一つの顔があったのです。冒頭で紹介した「もう、このグラブが駄目だと言っている」という言葉です。新庄選手は18歳で阪神に入団しましたが、そのとき8000円で買ったグラブを引退するまでの17年間、ズーッと使ってきていたのです。綻びを直し直し・・・です。まさに戦友。新庄剛志という野球人の「真の姿」がそこにあるような気がする話です。

(『現代の偉人・達人から学ぶ人間力』 奥野真人著/学事出版より)


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