偉人・達人が残したもの

キャリア・デザイン、キャリア・カウンセリングという言葉にふれる機会が多くなりました。夢をもてなくなり、将来的な職業観や仕事に対するイメージが描けない子どもたちが増えているからでしょうか。人生の3分の1の時間を費やす仕事に向き合うことで、偉人・達人といわれる人々は、何を学び、どんなことを教訓として得たのか。子どもたちに職業のプロ、人生のプロがつかんだ生きることのすばらしさをメッセージとして贈るときに参考になります。 

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対象学校だより・学級通信

常に一番ではなく、たまにはビリになることも必要…

増田明美さん(スポーツジャーナリスト)

テレビのマラソン中継の解説でおなじみの増田さんは、1992(平成4)年に引退するまでに陸上競技長距離種目において日本記録を12回、世界記録を2回更新するという輝かしい実績を残しています。しかし、一見すると順風満帆のように見える競技生活ですが、決してそうではなく、日々、プレッシャーとの闘いに悩み苦しんでいたと言います。

そのプレッシャーとの闘いが頂点に達したのが1984(昭和59)年のロサンゼルス・オリンピックでした。優勝候補の筆頭にあげられ、「増田優勝確実!」とマスコミは報道したのです。日本国民も「女子マラソンは日本が金メダル」と期待しました。ところが、増田さんはまさかの途中棄権。テレビ画面からフラフラと消えていく増田さんの姿を見て、日本国民は「あっ!」とうめき声をあげました。増田さんが抱えていたプレッシャーという怪物が形となって現れた瞬間でした。

帰国した増田さんは、「挫折の海」を2年間にわたって漂流します。それは言葉では言い表せないほどの辛い日々でした。しかし、中学時代からひたすら走り続け、「追い抜くことの喜び」を知ってしまった増田さんは、それでも夢遊病者のように走り続けます。「このまま走り続けていても、何も得られない」と気づいた増田さんは、再起をかけてアメリカのオレゴン大学に留学します。

日本にいたとき以上の厳しい練習を始めた増田さんを、ジッと見つめていた人がいます。アメリカ人のコーチであるルイーズ氏。

「いきなり、ズルしちゃったんです。その日は、林の中のコースを7周ずつ何本か走るトレーニングでした。内周は1500メートル、外周は1600メートル。『1600のほうを走りなさい』とコーチに命じられたのに、木立に隠れて見えないのをいいことに、私は1500を走って帰ってきた」(中略)

ルイーズ氏は増田さんに一言「あなたは何のために走っているのだ」と問いかけたのです。トップアスリートが初めて突きつけられた難問でした。(中略)

ロサンゼルス・オリンピックでの途中棄権の原因は、「勝つのが当たり前」というプレッシャーと共に、暑さへの対策の失敗が大きく影響したのですが、マラソンの基本である「ビリでも完走する」という精神が増田さんにはなかったのです。勝つための走りしかしてこなかったから、どんどん追い抜かれていく自分が惨めで、その屈辱に耐えられなかった」と増田さんは当時の心境を述懐します。(中略)

増田さんは、マラソンほど「自分」というものが出るスポーツはないといいます。42.195キロという道程に「人」というものがすべて凝縮されているそうです。
「絶対的な瞬発力は必要ないかわりに、走り方、チャンスをつかむタイミングとスパートのしかた・・・・・・などですね。マラソンという種目の特徴・特性なのかもしれませんが、自分と向き合う時間が長いから、それだけ心の葛藤もあるはず。ですから、人間としての成長もあるのでしょう」

42.195キロを走るための練習では、もっと長い距離を走ることになります。その間、約3時間くらい自分だけと向き合っている。自分の心の中にある贅肉をそぎ落としながらゴールを目指す。その姿が感動を与えるのです。

(『現代の偉人・達人から学ぶ人間力』奥野真人著/学事出版より)


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