子どもたちの日常のなかのありふれたしぐさや行動、いつもと違ったちょっとした言動には、大切な意味がこめられていることがあります。そんなちっぽけなことに現れる意外な心模様。それは、長年のカウンセラー経験が培った、子どもたちの心と行動を照らし合わせる眼があるからこそ、みえてくることです。
子どもと親、親と教師、教師と子どもとのふれ合いのなかで、みえてくる心の成長に関するちょっといい話。「保健だより」「学級通信」などのなかで「ふれあいコーナー」などの連載の題材として使えます。
<ご利用にあたって>
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海野千細(八王子市教育委員会学校教育部主幹)
何となくおどおどしている子、意欲のない子、物事を自分で決められない優柔不断な子、何をしたいのかはっきりしない子、なかなか自己主張できない子……。こうした子どもたちに共通するイメージのひとつが、「自信がない」ということではないかと思います。
私たちは、子どもたちに自信をつけさせるためには、何か少しでもできることを身につけさせればと考えがちです。何かできるようになると、それが「自信」となってわが子を支えてくれるのではないかと考えるわけです。そうした「自信」に対して、「自己信頼」という言葉があります。自信のおおもとの言葉だといわれています。自己信頼とは、何もできなくてよいのです。病気で寝たきりで何もできなくても、まわりから、「あなたはそのままでいいよ」というメッセージをたくさん与えられると、自分は何もできなくても、「僕はこのままでいいんだ」と思えるようなことだといいます。
今、手元に『五体不満足』という乙武洋匡さんの著書があります。
ご存知の方も多いと思いますが、乙武洋匡さんは、先天性四肢切断症という両手両足がない状態で生まれました。その両手両足のない状態の赤ちゃんとお母さんが初めて顔を合わせたときのエピソードがまえがきの部分に記されています。
出産直後の母親にはショックが大きすぎるという配慮から、「黄疸が激しい」という理由で1カ月、赤ちゃんに会わせなかったとのことです。そして……、初めてその赤ちゃんと対面したお母さんの口から出た最初の言葉が、「かわいい」だったそうです。
十月十日自分の胎内で育み、そしてお腹を痛めて出産したわが子。1カ月後に初めて会ったその子に両手両足がなかったという状況のなかでも、「かわいい」と感じられるとは、恐らく乙武君のお母さんは、ただ者ではないのだろうと思います。そして、このわが子がどんな状態であれ、「かわいい」と感じられることが、乙武さんに「自己信頼感」を育むことになったのではないかと思うのです。
何かができたからとか、何をしたからではなく、まさに「存在そのもの」を喜ぶことが乙武さんの心に自己信頼感という何者にも勝る支えを与えることになったのではないでしょうか。
もちろん、何かができるようになったということで自信がつき、支えられたという体験は日常的によくあります。たとえば、野球の猛練習をしてレギュラーのポジションを取れたとすれば、それはそれで大きな自信になるでしょう。ところが、さらに技量のある後輩が現れて、ポジションからはずされると、あったはずの「自信」は、あっという間になくなってしまうのです。このように、後からついた自信は、不具合が起こればいとも簡単にはがれ落ちてしまいます。年老いて、何もなくなった自分を嘆き、若き日の栄光にすがることほど、みすぼらしいことはありません。
本質的な「自己信頼感」とは、一時的な成功やうまくいった実績、輝かしい経歴とは本来関係がありません。どんな状態でも、「あなたはそのままで十分なんだよ」というメッセージを伝えられることが、親が子どもに送ることのできる最高のエールではないでしょうか。
しかしながら、なかなかそうできないのも現実です。
親の期待や願いを押しつけ、それがかなうと喜び、かなわなければ情けないと感じてしまうのが親心です。つい、子どもの人生を思うように支配したくなってしまうのです。そのとき、たとえ親の思いが裏切られても、なお、わが子を見捨てないことが子どもに対する最大の支援であるということを忘れないでいただきたいと思います。
▼著者プロフィール
海野千細(うみの・ちかし)
1952年生まれ。早稲田大学大学院文学研究修士課程修了。八王子市教育センター主任教育教育相談員、八王子市教育センター総合教育相談室長を経て、現在、八王子 市教育委員会学校教育部主幹。主な著書:『心理臨床のノンバーバル・コミュニケー ション』川島書店(共著)、『実践・問題行動教育体系 第1巻 子どもを取り巻く 生活環境』開隆堂(共著)、『いじめ問題にどう取り組むか』文渓堂(共著)、『学校に行きたくないって誰にも言えなかった』ほんの森出版(共著)ほか。