文章は、「かたまり」のつながりだ。
それぞれのかたまりで、要点を先に、詳細は後で、が「分かりやすい文章」
の基本である。
文は短いほうがよい。ワン・センテンスの平均を40文字以内とする。
書き手と読み手との間にあるギャップに気づいてほしい。
一般論として、文章は「章」というかたまりがあり、次に小さなかたまりとして「節」があります。その「節」はさらに小さい複数個の「段落」というかたまりの集合体です。「段落」を構成しているのは、より小さな「センテンス(文)」というかたまりでしょう。
この文章のあらゆるレベルに適合できるルールとして、「要点を先に伝えよ」ということがあります。
一つの「章」の中でも、章の冒頭で「この章では、○○○を紹介します」と概要説明するという単純な対策で、分かりやすさが一段と向上します。つねに、どんな「かたまり」でも、その「かたまり」の中で「要点を先に、詳細を後に」のルールを守ればよいのです。
先に書くべきものを「要点」、後に書くものを「詳細」という言葉で、ここまでは説明してきました。しかし、この二つの言葉を他の言葉に置き換えても同じです。すべて似ていますが、「結論を先に、理由は後で」「主張を先に、根拠は後で」「結果を先に、原因は後で」などでもすべて同じ意味です。学級通信などでも十分に応用できるポイントです。
あるお年寄りが自分のパソコン体験を短い文章に表現する場合を想定してみましょう。そのお年寄りが、その文章を通じていちばん言いたいのは「ホームページ作りは本当に楽しい。皆さんもぜひ、挑戦しませんか?」だとします。
次に示す例では、各段落の趣旨をそれぞれ、一つのセンテンスで要約しています。実際には、当然、5、6個のセンテンスで構成されていると考えてください。
【違反例】
段落1 孫にパソコンを勧められた。
段落2 買ったパソコンは思い通りに使いこなせなかった。
段落3 パソコン・スクールに通って苦労した。
段落4 インターネットやメールもできるようになった。
段落5 ホームページ作りは本当に楽しい。皆さんも挑戦しましょう!
この構成は、エッセイ、芸術文なら、まったく問題ありません。段落1から段落4までが起こった時間の順番に書かれていて読みやすいでしょう。そうした、いろいろな体験の結果としての感想が段落5として最後におかれるのも自然でしょう。
しかし、実務文の視点で考えれば、文章全体でいちばん言いたかった趣旨を含んだ段落を文章の最後におくのはよくありません。読み手に対する「斜め読み耐性」を図っていないからです。
実務文として改善するなら、次の通りです。最初に段落6と同じ内容の段落が一つ増えていることに注意してください。
【改善例】
段落1 ホームページ作りは本当に楽しい。皆さんも挑戦しましょう!
段落2 孫にパソコンを勧められた。
段落3 買ったパソコンは思い通りに使いこなせなかった。
段落4 パソコン・スクールに通って苦労した。
段落5 インターネットやメールもできるようになった。
段落6 ホームページ作りは本当に楽しい。皆さんも挑戦しましょう!
▼予告効果
改善例のように、文章全体の骨子を伝える段落が冒頭にあれば、読み手は、真っ先にその文章の目的を知ることができます。そのテーマに関心のある読み手は、先に読み進むでしょう。そのテーマに関心のない読み手、または、読む必要のない読み手は、そこで読むのを止めるでしょう。
読むのを止める読み手は、奪われる無駄な時間が最小ですみます。しかも、読むのを止めても、文章の概要は、段落1だけで、すでに読み手に伝わっているのです。最後まで読み終えていない読み手にも「要するに、この人はホームページ作りの楽しさに出合ったのね」と文章の趣旨は、りっぱに伝達されているのです。情報をすばやく効率的に伝える実務文として合格です。
すなわち、改善例の構成であれば、読み手の「斜め読み」の便宜を図った文章となっているのです。「要点を先に書く」を実行しただけです。それだけで、全文を読んでくれる悠長な読み手だけを想定していた芸術文を、「斜め読み耐性」のある実務文に変えることができたのです。
分かりやすい文章を書くためのテクニックは無数にあるでしょう。しかし、それぞれのテクニックの労力対効果がすべて同じというわけではありません。「たった一つのテクニックが突出して大きな効果を持っている」と私は実感しています。
その「たった一つのテクニック」とは、だれもが知っている「センテンスを短く」というテクニックです。月並みなテクニックですが、文章のプロでもない一般の人なら、文章を劇的に分かりやすく改善できるこのテクニックを覚えるだけで十分に思えます。誤解していただきたくないのは、ここで言う「センテンスを短く」の意味は、一文(ワン・センテンス)の長さを短くせよ、という意味です。文章全体の長さ、つまり、「文章量を少なくせよ」の意味ではありません。
書き手が事前に文章を「より小さなかたまりに分解しておく」ことで、読み手の脳に吸収されやすくなるわけです。文章を「より小さなかたまりに分解しておく」手段には、いろいろありますが、まず、句点で区切られるセンテンス(文)の長さを短めにすることです。
目安として、文章全体の平均値で、センテンスの長さが40文字程度を目標にするのがよいでしょう。あくまで、平均値ですから、すべてのセンテンスの長さが40文字程度以内でなければならない、という意味ではありません。ときどきは、長い文が混じっていても、平均で40文字前後であればよい、という意味です。こんなことは常識のようですが、書き手が自分自身の文が長いことに気づくのはむずかしく、案外守られていません。
書き手と読み手との間にはギャップがあることに気づいてください。学級通信での書き手は先生で、読み手は生徒や保護者です。先生である書き手は、自分が伝えたい意図を事前に熟知していますから、ついつい長いセンテンスを書きがちです。書き手の目には「楽に理解できる」長さのセンテンスに思えてしまうからです。
逆に、「何を伝えたいのか」を事前に知らない読み手にとって、「楽に理解できる」センテンスの長さの限界点は、書き手より短くなります。
読み手と書き手との間に横たわる、この本質的なギャップを書き手は認識していないのが普通です。そのため、読み手にはハードルの高い、つまり、長くて辛いセンテンスが世の中に溢れているのです。
◎次回は 「分かりにくい」を消す技術 について。