第1回「分かりやすい」ということは?

今回のポイント

学級通信、学校だよりなど各種通信も実務文の一種である。
実務文は、ハッキリとした目的を持っている。
 この目的を達するための「分かりやすい文章」を書くことは、
 ちょっとしたコツさえ知ればむずかしいことではない。
「分かる」仕組みを知るキーワードは、「脳内関所」と「脳内辞書」。
 関所をスムーズに通り抜ける文章を書けばよい。


芸術文と実務文

文章を大きく分けると小説やエッセイなどの「芸術文」と、意見、情報、研究成果などを伝達、発表する「実務文」の2種類があります。
読み手になるべく分かりやすい文章を書くべきだと私が考えるのは、後者の実務文のほうです。学級通信や学校だよりなども、実務文の一種です。
私たちは、教師であろうと、学生であろうと、文章によって自分の研究、仕事の成果を他人に伝えなければならない機会が多いわけです。自分自身で行った研究や仕事の成果がどんなに素晴らしいものであっても、それを評価してくれるのは第三者です。
評価者であるその第三者に、あなたの素晴らしいアイデアを伝える手段は、普通、実務文です。ですから、仕事の能力とほぼ同等、あるいはそれ以上に、「分かりやすい実務文」もあなたの評価を左右する重要な要素なのです。


実務文には常に、はっきりとした目的があります。請求書は、代金を指定銀行口座に指定期日までに確実に振り込んでもらうことが目的です。生命保険更新の案内文は、間違いなく更新手続きをとってもらうことが目的です。
つまり、実務文の「分かりやすい文章」とは、書き手の意図を読み手に分かりやすく伝え、確実に「目的を達する文章」です。そして、この最終目標を達成するための中間目標である「分かりやすい文章」を書くことは、意外に簡単なのです。
ふだん、目にする文章の大部分が実務文であるにもかかわらず、国語教育で対象としている文章は、なぜか芸術文中心です。巧みな心理描写や感動する芸術文を評価、鑑賞するような授業ばかりだったように感じます。必要な連絡事項をどうしたら確実に伝えることができるか、といった実務文教育を受けた記憶がありません。そのせいなのかどうか、私たちの身の周りには、何が言いたいのか分からない文章であふれているように思います。


短くても分かりにくい文

たとえば、保険の約款などのように細かい文字でびっしりと書かれた文章や、一文の長さが長くて分かりにくい文章のほかにも、私たちの周囲には分かりにくい文章が溢れています。私たちは、よほど注意していないと、短い文でも、ついつい自覚がないままに曖昧な悪文を書きがちです。たとえば、

佐藤さんと鈴木さんに会った。

こんな短い文章にも、実はいろいろな解釈が潜んでいます。すぐに思いつくだけでも次の三通りの解釈ができるでしょう。
 
解釈1 佐藤さんと鈴木さんの二人に同時に会った。
解釈2 佐藤さんに会ってから、鈴木さんに会った。
解釈3 佐藤さんと一緒に、鈴木さんに会った。


ほかにも可能な解釈が隠れていないか考えてみるのも楽しいかもしれません。私たちは、他人が発信する「分かりにくい表現」に囲まれて生活しているのも事実ですが、この「佐藤さんと…」の例文のように、自覚がないまま、自分自身が「分かりにくい表現」の発信者になってしまうこともあるのです。


「分かる」という仕組み

私たちは、毎日、「分かりやすい!」や「分かりにくい」という言葉を頻繁に使います。簡単な言葉なので、改めてこれらの言葉を深く考えたりはしません。しかし、「分かりやすい」とは、そもそも、どういう意味なのでしょうか。
「分かりやすい」の意味を考える前提として、先に「分かる」とはどういうことなのかを知っておいたほうがよいでしょう。

(図)外界の情報

は、脳内での「分かった!」の仕組みを説明するものです。
脳は、情報が外から入ってくると、その情報を一時的に留めて内容を吟味し、意味を確定する作業をまず行います。つまり、脳の入り口近くに小さな作業場のような領域があり、ここで情報の仕分け作業が行われます。
この領域では、聞いたばかりの電話番号を一時的に覚えていられる程度の短い期間しか、情報を記憶できません。また、記憶できる情報量も文字数にして十文字程度と記憶容量が極めて小さいことも特徴です。
こういった働きをする脳の領域を、私は「脳内関所」と呼んでいます。

一方、「脳内関所」で処理され、意味が確定した記憶は、長期間、情報を記憶できる脳の領域に送られ、そこで永久保存されます。
この領域を私は「脳内辞書」と呼んでいます。
脳内辞書には、私たちが「分かった」「理解できた」という情報だけが保管されます。ですから、逆に言えば、脳内関所を通過して脳内辞書に収まったときが私たちの「分かった!」と実感する瞬間なのです。
つまり、脳内辞書になるべく早く届くような情報が「分かりやすい情報」というわけです。

では、どうすれば情報が脳内辞書に早く届くのでしょうか。当然ですが、情報が脳内辞書に早く届くためには、情報が脳内関所をすばやく通り抜ければよいわけです。つまり、「分かりやすい」とは、「脳内関所を通過しやすい」という意味なのです。
情報が脳内関所をすばやく通り抜けるためには、脳内関所で行われる情報の吟味、審査が速く終わることが必要です。たとえば、本来ならば情報受信者の脳内関所で行われる作業を、情報発信者が事前に代行してくれれば、脳内関所の作業は当然減るわけです。それは、「脳内関所を通過しやすい情報」ですから、すなわち、「分かりやすい情報」ということになります。

以上をまとめると、「分かりやすい文章」とは、読み手の「脳内関所」で処理されるはずだった作業を、書き手がなるべく事前に代行してくれた文章のことです。そのような文章は読み手の脳内関所の作業負担が小さいので、脳内関所をスイスイと円滑に通過します。
読み手が首をかしげたり、読み直したり、眉間にシワを寄せたりすることもありません。脳内関所をスイスイと通過する文章情報は、スイスイと「脳内辞書」まで送られ、読み手の「うんうん、なるほどなるほど、分かる分かる!」の実感になるわけです。


脳内関所の働き

[作業1]脳内辞書を一冊選ぶ
[作業2]情報を分解する
[作業3]情報を整理する
[作業4]情報の意味を決定する
[作業5]情報の倫理性をチェックする

[作業1]は、入ってくる情報に応じて、たくさんある脳内辞書の中から、該当箇所がありそうな脳内辞書を一冊選ぶことです。通常は、いきなり辞書を決定できず、作業2や作業3を繰り返しながら一冊の辞書を決定する場合もあるでしょう。[作業1]の意味は、日本史の情報が入ってきたら、運転技術の辞書ではなく、日本史情報の辞書を選びます。この[作業1]の仕事のためには、入ってきた情報の大きなテーマ、話の概要を知る必要があります。

[作業2]は、いわば情報の分解作業です。小さくて狭い脳内関所で処理しきれないような大きなサイズの情報は、処理できるように適当な大きさの「ひとかたまり」に分解します。
たとえば、「5484965743」という十桁の数字は、脳内関所のサイズぎりぎりなので、空で復唱することは大変です。しかし、電話番号表記などでやるように、ハイフン(-)によって、そのかたまりのサイズを「54-8496-5734」のように小さくしてやると、脳内関所は扱いやすくなります。大きな金額の数位を三桁ごとに区切って、5,316,320円などと表記するのも脳内関所の特徴を考慮した方法なのです。

[作業3]は、情報整理・構造分析で、脳内関所の一番中心的な作業です。入ってくる情報に対し、無駄をカットしたり、同じ種類にまとめたり、情報の対応関係を発見したり「意味を失わない範囲で」情報の構造を徹底的に単純化します。泥や砂利などの中から宝石の原石を取り出すような作業です。この整理段階で泥や砂利を取り除くことが不十分だと「誤解」というミスが発生します。
ですから、誤解されない分かりやすい説明にとって、このプロセスは需要です。文章を読んでいるとき「いったい、何が言いたいんだろう?」と考える気持ちがこの「情報整理・構造分析」作業です。この作業を経て、「つまり、書き手の言いたいことは○○ってことか」となるわけです。

[作業4]は、最終的な意味の決定です。作業3で整理されて単純化された情報の意味と似た項目を脳内辞書の中から探します。それが見つかったとき、私たちが実感する「意味は分かった」という瞬間です。

[作業5]は、ある文章の意味が作業4まで理解できたとき、その内容が論理的かどうかを審査する作業です。つまり、理にかなっているかどうかがチェックされます。不合理と判定されれば、「腑(ふ)に落ちない話」「非論理的な話」「納得できない話」として、その情報が拒絶され、脳内辞書に追加保管されることはありません。作業4の審査まで通過しても、この作業5の審査で不合格にされた情報は、読み手に「書いてある意味は分かったけれど、主張が間違っていると思う。同意できない」との印象を与えます。
つまり、この作業5の審査を通過できなければ、説得力のある文章ではないことになります。文章に説得力がなければ、このシリーズの最終目標とする「目的を達成する文章」ではありません。読み手を目的どおりに動かせるような説得力のある文章を書くためには、この作業5の論理審査を意識することが大切です。


「分けて」書くことを意識する

日本語の「分かる」という言葉と「分ける」と言う言葉が似ていることは、非常に興味深いことです。きっと語源を研究すれば、偶然ではないのでしょう。脳内関所の作業を紹介しましたが、私たちの脳は、物事を理解したいとき、「分かりたい」「分かりたい」、つまり、「分けたい」「分けたい」と思っているのです。
ですから、私たちが「分かった!」と感じる瞬間は、実は私たちの脳の「分けられた!」という叫びなのです。文章の読み手の脳が「分けたがっている」のですから、書き手は、なるべく初めから情報を「分けて」書けばいいのです。「分ける」は「分かりやすい」の原点なのです。実務文を書くときには、まず「分ける」ことを意識して書いてみましょう。


◎次回は 「斜め読みでも理解されるための技術」 について。