学級通信なんでも相談室

第22回(最終回)
通信には守らなければならない定型がある?

「学年主任から、あなたの学級通信は本来の姿から逸脱していると言われました。通信には、こうあらねばならないという定型があるのでしょうか」という相談が寄せられました。文面からは、「腑に落ちない、心外だ」という語感が伝わってきます。今回は、この問題を考えてみましょう。

結論から言えば、通信活動に、こうあらねばならないというような決まった形式も内容もありません。自分の興味や関心、独自の感性や得意分野に応じて、どしどし型破りでユニークな通信に挑戦していってよいと、私は思います。

先日、私も審査員をつとめる第4回「育て!プリントコミュニケーション」コンクール(来年1月から募集開始)の募集要項が発表されましたが、ここにも以上の考え方が反映されています。審査基準は次のとおりです。

  1. 審査では「継続性」「ニュース性」「双方向性」「読みやすさ」「編集デザイン力」「独創性」および「期待される教育効果」などから総合評価します。
  2. 同時に基準のいずれかに秀でた作品も同様に評価します。


「~などから」とあるように、①の項目が基準のすべてではありませんし、これらの基準がすべてクリアされなければ高く評価されないという訳でもありません。通信を出す目的やねらいに応じて、重点があってしかるべきです。どこかの項目が突出して優れている場合には、それなりに高く評価されるはずです。そのため、②の視点が今回から加わりました。今までにない実験的な内容、「うーん、これはスゴイ」と舌を巻くようなユニークな内容があれば、他の面の不備不足に目をつぶってでも、高い評価をしたいと私は考えています。

例えば、通信活動にとって「継続性」(定期発行)ということは、極めて重要なことです。三日坊主やいつ出るか分からない不定期刊では、読者の信頼を得ることは出来ません。しかし、定期発行・多発行が良いという考えを一面的に推し進めていくと、月刊より週刊、週刊より日刊の通信の方がよいということになりかねません。常識で考えて、そんなことはありませんね。教育活動全体の中でのバランスということを考えなければいけないと思います。1年間同じ発行体制でずっと続けるということでなく、例えばある特定の学習課題について、その導入から結末までを同時進行的に丁寧に追っていく、いわば「期間限定型」の通信というのもあってよいと思います。

望ましい項目が網羅された模範的な通信を、ホテルの「フルコース料理」や老舗の「会席料理」に例えるならば、独創的な通信は、個人料理店の自慢の「一品料理」や「創作料理」と言えるでしょうか。写真を主体とし、それにピリッと機知に富んだコメントを添えた通信。子どもの「つぶやき」や「ユニーク発言」だけを採録した通信。「ちょっといい話」などエピソード中心の通信。子どもを歌った自作の詩を毎号連載した通信。家庭学習へのアドバイスに特化した通信、等々。大きな枠、「子ども」から離れない、「教育」から離れない、その点さえ押さえられていれば、後は自由でよいと思います。
私自身は、古い世代に属していますから、今までの経験と常識的な考え方からなかなか自由になれませんが、若い人には若い人らしい斬新な感性とアイデアで「オー、こういう通信の形もあるのか」と先輩たちを唸らせるような通信をぜひつくってほしいと思います。自分らしさが色濃く表れた通信づくりに、ぜひ自信を持ってチャレンジしてみてください。

もちろん、いわゆる型どおりの通信が「ダメ」というのでは断じてありません。教師が真剣に、誠実に、子どもの健やかな成長を願って制作した通信は、全て良い通信です。素晴らしい通信です。コンクールに入賞するために通信活動をしているわけではありませんから。