ブックタイトル季刊理想 Vol.119
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季刊理想 Vol.119
● 特別寄稿 ●甲斐 雄一郎(かい・ゆういちろう)先生●プロフィール筑波大学人間系教授・附属学校教育局次長。博士(教育学)。全国大学国語教育学会,日本国語教育学会,日本読書学会各常任理事。著書に『国語科の成立』(東洋館出版社),共編著・論文に「国語教育史の第三次的研究」(全国大学国語教育学会『国語科教育』第77 集)、『言語政策を問う』(ひつじ書房), 『国語科教育学研究の成果と展望Ⅱ』(学芸図書)など。而不思則罔。思而不学則殆。」、「知之為知之。不知為不知。是知也。」、「己所不欲。勿施於人。」などは日本のみならず、中国や台湾の教科書においても取り上げられている。さらにそれぞれの学習内容にも日本における(3)と共通する内容を見出すことができる。たとえば台湾では「人不知而不慍。不亦君子乎。」を取り上げて、その考え方が自己アピールすることが重視される現代社会の在り方と矛盾しているのかどうか考えさせたり、「已所不欲。勿施於人。」について、現実生活における実例を挙げて説明させる課題が設定されている。中国においても感銘を受けた言葉について、自分の体験を含めて考えを話すことを求めている(古珮玲、他「漢字文化圏における漢文教材ー現行の中学校国語教科書所収の『論語』教材を通してー」『人文科教育研究』37、2010 年)。これらの課題に即して産出された生徒作品としてのエッセイを、国境をこえて読み合い、議論することが可能になるならば、国語教育で現在重視されている「交流」の範囲を広げるばかりではなく、古典学習の意義を拡大することにつながるだろう。国境を越えた交流からの還元 実際にこれまでに韓国、中国、台湾、香港、それぞれの中学校を対象としてそのような学習交流の可能性について打診してみたことがある。結論からいえば、翻訳の壁という問題は措くとしても、国や地域による教育施策はもとより、学校や教師個人の方針においてもさまざまな対応の仕方があり、事態はそれほど簡単ではなかった。ある学校ではいわゆるPISA に対応する学力の育成に力を注いでおり、古典の学習にさく時間はほとんどないということであったし、別の学校では、論語は聖賢のテキストとして押し戴いて読むものであり、中学生が自らの幼い考え方であれこれ批評する対象になるはずがない、ということであった。また、論語は他の漢文と同じく、漢字学習の素材として用いるにすぎない、とする学校もあった。 しかし限定的ではあったが中国や台湾の中学校の協力をいただき、それぞれの中学生のエッセイを入手することができた。もちろんそれらは限定的であるがゆえにそれぞれの国や地域を代表する作品ということはできない。そのような制約の範囲内ではあるが、日本と中国や台湾の中学生における論語をとらえる枠組みの異同の一端を理解することができたように思われる。先に述べたように、日本の中学生の作品には物語型とでもいうべき様式が数多くみられる。それは中国や台湾においても見出すことができるものである。しかしその一方で、それぞれに特徴的な様式のエッセイも少なくなかった。そしてそれはとりもなおさず私たちにはなじみの少ない読み取りの観点として受け止められたのである。 このような共通点と相違点を知ること、またそうした知見を前提としつつ、近い将来に中学生たちによる国境をこえた交流の様子を想定するならば、これからの論語の学習指導についても新たな課題を見出すことができるのではないだろうか。そしてそのようにして見出された課題は論語の古典化への貢献にとどまらず、国語学習全般への還元が期待されるのである。10 ◆ 季刊理想 2016 春号