ブックタイトル季刊理想 Vol.129

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概要

季刊理想 Vol.129

2 ◆ 季刊理想 2018 秋号  年に何回か小学校の教室へ行く。皆で俳句を作り、その句のどこがいいか、どう直せばいいのか、などを議論する。  出かけるときは手ぶらだ。その日、教室の窓に秋空が広がっていたら、季語「秋の空」を話題にする。季節によって空が違っていることを考え、「秋の空」の特色を挙げてもらう。青い、高い、広い、吸いこまれそうなどといろんな意見が出る。腹がすく、という子がいて、ひとしきり、なぜ秋空の下では腹がすくか、を考える。気温が快適でよく動くから、おいしい食べ物が多いから、新米が出るから、などと意見百出だ。  さて、「秋の空」の特色を確認したら、こんどはその空の下に何かを見つけよう、と提案する。そしてその見つけたものを575で表現する。   秋の空学校の犬柴次郎   秋の空三時間目は俳句です   秋の空図書館の窓開いている  柴次郎は柴犬のおす犬。ほんとうは学校のそばの家の飼い犬だが、しょっちゅう学校に来ていて、半ば学校の犬に化しているらしい。どうして次郎という名前なんだい、と尋ねるとだれも知らない。で、柴次郎をよく世話しているイケダ君が、名前の由来を調べて後日に報告することになった。  以下は省くが、小学生を相手にするのはかなり疲れる。何が出てくるか分からないから。でも、この疲れはなんだか快い。  小学生は言葉を身につけている最中だ。別の言い方をしたら、小学生のころには言葉が心身と共に弾んでいる。年を取るにつれて、言葉は心身から離れ、弾んだりしなくなる。  七十代にもなると、油が切れたみたいに言葉も古くなりがち。でも、それって面白くないではないか。  というのも、いくら年をとっても小学生時代の未熟性が生き続けているから。老人だって、走り回りたいし、いたずらをしたい、地面に転がりたい。木に登り、木にぶらさがり、どすんと落ちて死んだふりをして人を驚かせたい。  私の内に生きている未熟性、じつはそれが小学生の言葉との回路なのではないか。  私はほとんど何も用意せずに教室に入る。そして、子どもたちの反応を手がかりにして、彼らといっしょに、同じ地平で考える。そのときの拠り所が未熟性、知識や体験は二の次だ。  私の未熟性、それを比喩的にいえば、子どもたちといっしょに遊ぶ感じ、とでも表現できそう。  終わりに子どもたちと俳句を大声で暗唱した。授業の最初に覚えてもらっていた私の句だ。   たんぽぽのぽぽのあたりが火事ですよ  この句についての説明はまったくしていない。でも、子どもたちの顔がそれぞれたんぽぽになっている。私の未熟 性俳人  坪内 稔典坪内 稔典(つぼうち・ねんてん)1944 年生まれ。俳人、日本文学研究者。京都教育大・佛教大名誉教授。公益財団法人柿衞文庫理事長。著書に『坪内稔典コレクション』『坪内稔典句集』『正岡子規』など。