ブックタイトル季刊理想 Vol.125

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概要

季刊理想 Vol.125

●中村 浩志先生プロフィール1947年生まれ。信州大学教育学部卒業。京都大学大学院修士課程修了および博士課程単位取得。専門は鳥類生態学。理学博士。これまでの主な研究はカワラヒワの生態研究、カッコウの托卵生態と宿主との相互進化に関する研究、ライチョウの生態と進化に関する研究など。2002年、カッコウの研究で第11回「山階芳麿賞」受賞。日本鳥類学会元会長。ライチョウ会議議長。主な著書に『戸隠の自然』『千曲川の自然』(ともに信濃毎日新聞社)、『甦れ、ブッポウソウ』「ライチョウが語りかけるもの」(ともに山と渓谷社)、『二万年の奇跡を生きた鳥 ライチョウ』(農山漁村文化協会)など。連 載 人間と鳥の世界?中村 浩志(信州大学名誉教授      中村浩志国際鳥類研究所代表理事)カッコウによるオナガへの托卵開始 長い間鳥の研究をしていると思いがけない幸運に恵まれることがあります。1985年から長野市郊外の千曲川でカッコウの研究を始めて大変驚いたことは、オナガへのカッコウの托卵が世界に例のないほど高頻度であったことです。当時は、オナガの巣の実に半分以上が托卵されていました(写真1)。しかも、複数のカッコウ卵が托卵されている巣が多く見つかり、多い巣では4卵、5卵が托卵されていました。 オナガは、本州中部から東北にかけての東日本に生息する鳥です。全国的にみても、この鳥へのカッコウの托卵が始まったのは、今から60年ほど前です。私が子供の頃、千曲川にカッコウはいませんでした。では、カッコウはいつから千曲川でみられるようになり、オナガへの托卵はいつから始まったのか。1940年代初頭に長野県で鳥の分布を調査した清棲(1942)によると、この頃カッコウは標高900m以上の高原に住む鳥でした。それに対し、オナガは平地の鳥で、両者の分布はほとんど重なっていませんでした(図1)。しかし、その後、オナガは平地から高原に、逆にカッコウは高原から平地に分布を広げたのです。その結果、両者の分布が重なり、長野県で最初のオナガへの托卵は、高原と平地の中間托卵をめぐるオナガとカッコウの攻防戦と進化   カッコウは、托卵した卵が排除されないよう、相手の鳥の卵に似た卵を産む傾向があります。   カッコウ卵のこの傾向は、自然選択により進化したものである事実を我々は目で確認するチャンスに恵まれたのです。写真1:カッコウの雛を育てるオナガにあたる地域で1974年から相次いで見つかったのです。その後、千曲川などの平地にも急速に広まり、15年後の1980年代の終わりにはオナガの分布域全域に広がりました。 なぜ、これほど急速にオナガへの托卵が広がったのでしょうか。それは、オナガが托卵に対する対抗手段を持っていなかったからです。古くからカッコウに托卵されているオオヨシキリやモズなどは、カッコウが巣に近づくと猛烈に攻撃し、托卵されたカッコウ卵を巣から取り除くなど、対抗手段を持っています。しかし、これらを欠いていたオナガは、一方的にカッコウの托卵を受けることになりました。その結果、オナガに托卵するカッコウが急増し、一つの巣に多数のカッコウが托卵するという、例のない異常事態となったのです。 オナガへの托卵が始まって以後、各地でオナガの数は減少しました。その一例が、長野市郊外の川中島です。ここでは、托卵が始まる前の1968年、細野(1969)によりオナガの生息数が調査されていました。それによると、川中島には当時259羽の 季刊理想2017 秋号◆15