ブックタイトル季刊理想 Vol.118

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概要

季刊理想 Vol.118

言葉の歳時記●11季刊理想 2015 冬号 ◆ 9中洌 正堯 ●兵庫教育大学名誉教授●なかす まさたか1938 年、北九州市生まれ。兵庫教育大学名誉教授。元兵庫教育大学学長。国語教育探究の会・国語論究の会顧問。国語教育地域学の樹立を目ざし、「歳事(時)記的方法・風土記的方法」を提唱する。著書に『国語科表現指導の研究』(溪水社)、『ことば学びの放射線』(三省堂)ほか。歌の情景・百人一首の冬 歌の言葉をイメージ化し、個々のイメージをつないで写真を創り、心のアルバムにおさめ、折々に現実の景と比べてみよう。冬の情28 山里は冬ぞさびしさまさりける人目も 草もかれぬと思へば       源宗干 「かれぬ」は「人目も離かれぬ」と「草も枯れぬ」が掛けてある。唱歌「庭の千草」には、「庭の千草も、むしのねも、/かれてさびしく、なりにけり。」とある。 表面は、冬の山里のさびしさであるが、内心には、境遇上のわびしさや人恋しさも想像される。乙女の姿12 天つ風雲の通かよひ路ぢ吹きとぢよ乙を とめ女の姿 しばしとどめむ       僧正遍昭 その年新しく収穫された穀物を神に供える宮中の行事で、四、五人の乙女が舞を演じる。雲の上の天てんにょ女のごとく。 かぐや姫の世界では「天人具ぐして、のぼりぬ」といったところか。竹取の翁おきなにしてみれば、「しばし」ではなく永遠に留めたいところであった。霧と霜 霧と霜は、「百人一首の秋」でも見てきた。冬のそれは、秋のものとどう違うのか味わってみる。64 朝ぼらけ宇治の川霧たえだえにあらは れわたる瀬せぜ 々の網あじろぎ代木     藤原定頼06 かささぎの渡せる橋に置く霜の白きを 見れば夜ぞ更ふけにける     大伴家持 鳥のかささぎが七たなば た夕の夜天の川に橋をかけると言われている。その名に因ちなんだ宮中の御みは し階に真っ白に霜が降りて、後こうきゅう宮への通行はもはやできない。七夕とは反対の状況である。29「心あてに」の歌は、白菊と初霜の白さの競演であったが、ここは、人工の御階を覆おおう冴え冴えとした白である。山おろし74 憂うかりける人を初は つ せ瀬の山おろしよはげ しかれとは祈らぬものを   源 俊頼 せっかくお祈りしたのに、この山おろしのように、いっそう激しく冷たくなるなんてどういうことか。女にょにん人たちが恋の祈願に通った初瀬の長谷寺観音に、男が祈ったというのがまずかったのかもしれない。千鳥78 淡路島かよふ千鳥の鳴く声にいく夜寝 ざめぬ須磨の関守      源 兼昌 この歌に、『源氏物語』須磨の巻の「例の、まどろまれぬあか月の空に、千鳥いと哀あはれになく。」を重ねるのが通例である。その重ねから、「須磨の関守」に光源氏その人をあてる想像読みも可能である。つまり、須磨退去の身となった源氏は今や関守の立場であり、千鳥の哀れな鳴き声に目覚めさせられるというものである。雪の景04 田たご 子の浦にうち出でて見れば白しろたへ妙の富士 の高た か ね嶺に雪は降りつつ     山部赤人31 朝ぼらけありあけの月と見るまでに吉野 の里に降れる白雪       坂上是則 どちらの景もロングショットで映し出すのがよい。その上で、04は、富士の高嶺に降りつつある雪、31は、吉野の里に降り敷いた雪、また、04は実景としての雪、31は、「ありあけの月」というフィルターのかかった雪という違いを見分ける。15